江戸時代中期の画家尾形光琳(一六五八~一七一六)は衣装に自ら描絵文様をほどこしたり(「白絖(ぬめ)地秋草文様描絵小袖」)、香包みや絵付陶器など工芸品にも意匠の筆をとった。その画風は特色があり、宗達の画風を受け、豊かな気品にみち、柔らかく装飾的でいわゆる琳派の祖となる。その後、独特の作風は一般に喜ばれ、工芸意匠としては、とくに衣装文様に流行した。その遺品は少ないが、光琳文様の<ひいなかた本>が多数現存する。『当風美女ひなかた』(正徳五年刊)は光琳在世中の出版で、作者不明ながらとくに重要。以後享保・元文(一七一六~四〇)期に盛んに刊行される。文様の特色は、雛形(ひながた)本では線描であらわされるが、花鳥などさまざまの素材をとり上げて友禅染や刺繍であらわす場合には、いわゆる付立て描きによる没骨(もっこつ。東洋画における描法の一つ)調の柔らかな仕上げになることが予想される。